折り合いのつけ方

夕方からの集団セッションに参加する数名の男子たち(高学年〜中学生)。
 
行く前に公園でサッカーしようということになり、数組の親子で集まったらしい。
 
子どもたちはとても仲良しで、いつもワイワイと遊ぶ仲間。
 
その時も、仲良くサッカーをしていたらしい。
 
遊んでいる途中でAくんの機嫌が悪くなった。
 
 
そしてそのまま夕方になり、Aくんは集団セッションに参加したくないと、
 
ちとせの駐車場で車から出て来なくなってしまった。
 
事情を聞いてみると、
 
全員がそれぞれにちょっとしたズルをして笑いあうというおふざけサッカーをしていて
 
Aくん自身もズルをしていたので、「お互いさま」な遊び方だったらしい。
 
ただ、他の子は何も思わなかったのだけれど、
 
Aくんにとっては何か許せないことがあったのだろうと推察された。
 
・・・
 
 
Aくんは、本当にいろんな「許せないこと」があるお子さんである。
 
 
可哀想なくらいに、いろんな小さなことに引っかかってしまい、暴言を吐き殻に閉じこもる。
 
不登校になったのも、その積み重ねの結果だと思われた。
 
彼は、2ヶ月くらいの間にちとせに居ることにとりあえず不満がなくなり、
 
少しずつ喋る、活動する、笑う、友達ができる、とじっくりと慣れてきたお子さんである。
 
 
徐々に出来ることや参加することが増えてきた、その反面、
 
許せない出来事も相対的に増えているようである。
 
最近では、ちとせで個人的に取り組んだ漢字プリントで間違えた問題があったらしく、
 
その出来事以降、
 
「漢字で間違えた」にとらわれてしまい、少々行き渋りを始めていた。
 
その矢先、今回の集団セッションに来れないという事件であった。
 
今までの経緯を聞いて、これは彼の状態が後退しているのではなく
 
「折り合いをつける」という壁の前で右往左往している彼の姿が思い浮かんだ。
 
そこで、お母さんに一枚の手紙を渡し託した。
 
・・・
 
 
この手紙に対する答えは、割とすぐに返ってきた。
 
「わかりました!」
 
に丸がしてあった。
 
ダンマリではなく、何かしらアクションを起こせたこと。
 
それも彼なりの折り合いであると感じる。